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OVERVIEW
― ヘリウム自殺について ―

「どんな自殺も苦しむことになる」とか…
「楽に死ねる方法なんかない」とか…
そんなの全部ウソだ

楽に逝ける自殺方法は確かにある
それは誰でもできることだし
道具も簡単に手に入る

ヘリウム自殺は安楽死団体で推奨されているほど苦痛の少ない自殺手段だ。
することも簡単で、ヘリウムが充満した気体を吸い込むだけ。
それだけであっという間に意識を失い、そのまま眠るように死ぬことができる。

こう聞くと、ヘリウムはどれだけ危険な気体なのかと疑問に思うだろう。
しかし実際のところ、ヘリウムは人間にとって無害な気体で、これを吸い込んだから死ぬというわけではない。
この自殺手段の直接の死因は、酸欠による窒息死だ。

人間は酸素濃度が6%以下の気体を吸い込むと、あっという間に意識を失う。
そのため、袋の中にヘリウムガスを充満させて限りなく酸素濃度が低い空間を作り上げ、そこで呼吸をすることで、およそ10秒以内に意識を消失。
その後も低酸素状態に晒され続けることにより、10分前後で死に至る。

この自殺手段は首に輪をかけて踏み台を蹴り飛ばしたり、高所から飛び降りたりといった勇気は必要ない。
することはただ息を吸い込むだけなので、他の手法と比べて、あまり恐怖も感じないだろう。

それでいて安全で周囲を巻き込むこともない。
硫化水素や一酸化炭素は毒性があるため、まわりに配慮した準備が必要だ。
一方でヘリウムガスは人体に無害な気体であり、他人を巻き込む心配もない。

ヘリウム自殺は実際に安楽死団体で用いられただけのことはあり、他の手段と比べて優れているところが多い。
ただ難点を挙げるとすると、準備に金と手間がかかることだろう。
必要な道具はネット通販で簡単に揃うが、そこそこの資本金を用意しなければならない。
また道具が届いた後も、自殺装置は自作する必要がある。
安楽死の必要経費と考え、こればかりは我慢するしかない。

CAUSE
― ヘリウム自殺の死因 ―

ヘリウム自殺は苦痛なき窒息死
袋を被ったら、あとは息を吸うだけ……

人は酸素がない気体を吸い込めば、それがたった1回の呼吸であっても失神することがある。
ウソみたいな話だが、これにもきちんとしたメカニズムがある。

人間はガスの交換器官である肺を通して呼吸している。
この肺にびっしりと敷き詰められているのが「肺胞」という組織だ。
血液がこの組織を通り抜ける時、新鮮な酸素を受け取り、余分な二酸化炭素を捨てていく。
つまるところ、人は肺胞を通して体内と大気の間でガス交換を行っているわけだ。

そしてこのガス交換には、「気体は濃度の高いところから低いところに移動する」というルールがある。
私たちが普段から吸い込んでいる空気の酸素濃度はおよそ21%。
対して体中に酸素を配り終え、肺に戻ってきた血液の酸素濃度はおよそ16%。
「濃度の高いところから低いところに」というルールに従い、肺に取り込まれた空気は血液に酸素を渡していく。
この高低差の原理を利用して、人間は体内に酸素を取り込んでいる。

しかし、吸い込んだ空気の酸素濃度が16%以下だった場合、逆転現象が起きる。
血液が肺胞を通った瞬間に酸素は引っ張り出され、大気中に奪われてしまうのだ。

仮に酸素濃度が10%の空気を吸い込んだら、肺を通った血液から6%の酸素が放出される。
そのままその空気を吸い続けていると、体内の血液の酸素濃度が10%になるまで大気に酸素が奪われていく。
こうなれば呼吸すればするほど、体内の酸素も減っていく一方だ。

ましてやほとんどヘリウムしかない、酸素濃度が0%に近いような気体を吸い込めば、血液中の酸素はごっそり消える。
人体にとってはそれがたった1回の呼吸であっても、酸素がほとんど存在しない空白期間ができることになる。

その影響をまっさきに受けるのが「脳」だ。
中でも、人の思考や知覚を司っている大脳皮質は酸素欠乏に対して特にもろい。

酸素が断たれたその瞬間から意識を保つことができなくなり、約10秒で意識を消失。
その後も酸素が補充されなければ、生命活動に欠かせない領域も次々と機能を停止していき、3分もすれば、もう元に戻らないような脳のダメージを負う。
5分も経過すれば、あまりにも大きな損傷を受けた脳は完全に死滅。
その少し後に心臓が止まって心肺停止となる。

ヘリウムを吸い込んでから意識を失うまでの間に息苦しさは感じるのか。
この点に関しても、さほど心配する必要はない。

そもそも、人間の呼吸を調整しているのは延髄にある呼吸中枢だ。
この呼吸中枢には、絶えず変化する呼吸についての情報が常に送られている。
血液中の酸素濃度、肺の膨らみ具合、呼吸に関わる筋肉の動き、さらには体温、痛覚、感情の状態など。
呼吸中枢はそれらの情報をもとにして呼吸のリズムを修正し、呼吸運動を調整している。

中でも呼吸をしたいという欲求に大きく関わっているのが、血液中の二酸化炭素だ。
人間にとって、二酸化炭素はいらない排ガスのように思えるだろう。
しかし、実際には重要な働きを任されている。「呼吸の指令塔」という役割だ。

口と鼻を塞いでずっと息をこらえていると、時間が経つにつれて「息苦しさ」を感じるようになる。
この「息苦しい」の原因は何なのかというと、血液中の二酸化炭素の濃度。
呼吸中枢は体内の二酸化炭素が増えてくると「息苦しさ」を誘発し、脳に早く呼吸をしろとメッセージを送り込む。
この息苦しさは血液中の二酸化炭素が増えれば増えるほど強くなり、最後には息こらえも我慢できなくなる。

呼吸をしたいという欲求は、単純に酸素不足だけが原因なのではない。
体内で増え続ける二酸化炭素こそ呼吸中枢にとっての大きな判断材料であり、その濃度が増え続けた時、人は息苦しさを感じるのだ。

ヘリウム自殺は体内の酸素は減り続ける一方だが、二酸化炭素が増えることはないし、呼吸筋も通常通り動いている。
結局、酸素以外の状態は通常の呼吸時と変わらないため、脳も体内の異常に気づくのが大きく遅れる。
そのため、自殺者は息苦しさを感じる間もなく意識を失い、苦痛を感じずに死ぬことができる。

NECESSTIES
― ヘリウム自殺に必要なもの ―

画像をタップすると詳細が出るよ

METHOD
― ヘリウム自殺のやり方 ―

説明1
説明2
説明3
説明4
説明5
説明6
説明7
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OTHER
― 後遺症と遺体 ―

ヘリウムガスは人間にとって無害な気体だ。
まだ意識がはっきりしている時に中断すれば、特に後遺症も残らない。

問題は意識を失った後。
失神してから完全に死ぬまで、さらに10分程度の時間が必要となる。
その間に体の痙攣で袋がずれたり、破れたりする可能性は充分にあるだろう。

この段階まで来てしまえば、脳細胞の破壊もすでに始まっている。
そのため、中断したタイミングしだいでは記憶障害や認知障害になりかねない。
最悪の場合、植物人間や半身不随になる可能性もあるだろう。

こうした未遂時のリスクには、あらかじめ手を打っておきたいところ。
例えば、ロープを使って体を家具や柱に固定しておけば、暴れた時の動きを抑えることができるし、手袋をつけて爪を覆うのもいい。
ある程度の出費が可能なら、車椅子を購入しておくのもオススメ。
転倒する心配がなくなるし、片腕をアームレストに縛り付けておくだけでも、かなり動きが抑えられる。

ヘリウム自殺は意識消失後のコントロールが難しいが、このように、工夫次第である程度の対策は可能だ。
そして無事に完遂できれば、かなり綺麗な遺体となる。
首吊りのように頭部への血流を止めるわけじゃないから顔も鬱血しないし、練炭自殺のように体が変色することもない。
自殺中に転倒でもしない限り、外傷も残らないだろう。

安楽で綺麗に死にたい人にとって、ヘリウム自殺は有力な候補となるはずだ。

こんな世の中、産まれてきたくなかった

10代の頃。
私は生きることが恐ろしかった。

ピエロを演じ続けた友人関係。
敷かれたレールの上の受験競争。
私を平均化しようとする大人たち。

つまらない日々は外ヅラの良さで隠した。
でも内側に、得たいの知れない気持ちが溜まっていく。

だるい。
だるい。
だるい。
人生がだるい。

これからも、こんなことばかり続くなら、「生きる」とは悲しみに満ちたものに違いない。
私は真剣にそう考えていた。

「将来は何をしたいですか?」

それっぽい答えを口にするけど、ホントはやりたいことなんて一つもない。

自分の行動に理由と動機がなく、いつも、その場その場を生きてる感じがした。

何もない空間に取り残されたような不安と恐怖。
私は闇雲に本を漁るようになった。

国内外の文学作品を手当たりしだいに読み、哲学や宗教、心理学の本にも目を通す。

先人たちも絶望したことがあるはずだ。
それなら、どうか教えてください。
絶望した人間は、どう生きたらいいの?

でも行動の伴わない知識には、何の価値もない。

結局、どんなに人生を肯定した本を読もうと、納得のいく回答を得ることはできなかった。

自殺を考えたのは、それからだった。

もともと「死」に対する何かしらの感情はあった。
でも、進学を前に将来を見据えてから、その二文字をより意識するようになった。

「生きる覚悟」なんてものは、はなからない。
今はしょうがなく惰性で生きている。
ただ仕方ないから、生きている。
恐らく今後もそうだろう。

ならいっそのこと、30までには自殺しよう…
その歳までに何者にもなれなかったら、この命を断とう……

将来の方針が固まったら、「やる事」も決まった。
毎週のように図書館に通い、タイトルに「自殺」とつく本があれば必ず借りた。

痛くない死に方。
眠るように逝ける死に方。
お金のかからない死に方。
思いっきり派手な死に方。

一冊一冊と読み終えるたび、死に方の知識が増えていく。

この方法はどうだろうか。
どれなら楽に死ねるだろうか。
大切なのは致死率が高いこと。
それと、なるべく痛くないこと。

バラバラに散らばった「自殺」の断片。
それを、一つの形にまとめていった。

結局、「学生」という人生で一番華やかな時代も、私が残したものは数冊にわたるノートだけ。

表紙には、あまりにも安直なタイトル。
そこには自身への「戒め」の意味も込めていた。

人生、最初から負け戦。

後は死にたいと思いながら、生きることにしよう。
死にたいと思いながら、自殺しないことにしよう。

いずれ訪れるであろう、その時まで……